学生時代からとんでもなく可愛かったという噂があるのが北川景子さんです。
今の美貌を思い浮かべれば、昔から抜群に美しいことも当然と言えば当然ですが、それも単なる噂ではないようです。
ネットに流出した北川景子さんの卒アル画像がありますが、それを見れば一目瞭然ですよ。
そんな北川景子さんですが、学生時代はどんな女の子だったのか、出身学校(高校・大学)偏差値はいくつぐらいだったのかなどを見ていきたいと思います。



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医者を目指して高偏差値の高校に進学した北川景子さん

北川景子さんは兵庫県神戸市の出身です。
ご両親の職業は明らかではありませんが、お祖父さんはお医者さんだったと言います。
 
そのこともあり、幼いころから将来は医者になりたいと思っていたそうですが、そんな思いを決定的にする出来事がありました。
神戸出身ということからわかるように、彼女は小学生時代にあの阪神大震災を経験しているのです。

(小学校時代の北川景子さん)
 
クラスメートにも亡くなった方が何人もいたそうです。
そんな過酷な経験があったため、「自分の命は自分だけのものではない」「人の役に立つ仕事がしたい」という思いが強くなり、本気で医者になるために勉強に打ち込んだという話です。
 
北川景子さんは中学受験を経て関西の名門大阪女学院中学に入学しました。
大阪女学院は中高一貫の進学校として関西では有名で、彼女も中学卒業後、そのまま大阪女学院の高等部に進学、普通科理系コースで医者を目指して勉強していたそうです。
 
ちなみに大阪女学院高校は偏差値65とかなりの難関です。
アメリカカンバーランド長老教会系のミッションスクールとして1884年に設立されたという長い歴史を誇る女学校で、教員は全員がキリスト教の洗礼を受けています。
 
中学・高校と通して、毎朝礼拝があり、週に1回は聖書の授業があるそうです。
学期末にも聖書のテストがあり、年に1回修養会や伝道週間という宗教行事も行われているキリスト教色の強い学校です。
 
また、北川景子さんと言えば英語ができることでも有名ですが、大阪女学院がそもそも英語教育に非常に力を入れている学校で、彼女の進んだ普通科でも高校1年から海外研修があります。
今では文部科学省によってスーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクールに指定されているほどです。
地元では古くからの名門お嬢様学校として有名で、制服も可愛いと評判のようですね。
 
なお、北川景子さんには、大学1年時にハリウッド映画にも出演しているように、英語ができるというイメージがあります。
それも高校で英語に力を入れていた賜物なのでしょうね。
 
ところが、北川景子さん自身がのちに語ったところによると、学校では得意な英語がアメリカでは全然通じなくてショックを受けたそうです。
ただ、そのままショックを受けただけで終わらないのが北川さんのすごいところで、英語を鍛えなおすべくホームステイまでして発音までネイティブ仕込みに仕上げたと言います。
 
彼女自身からも当時のことを思い返すと辛かったという言葉が聞かれますが、それだけ勉強に打ち込んだだけあって、今では英語で不自由することがないのでしょうね。



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北川景子さんの卒アル画像と芸能界入りのきっかけ

そんな勉強に打ち込んだ北川景子さんですが、その美貌は当時からひときわ輝いていたようで、高校時代は学校ですごくモテたといいます。
女子高でモテたわけですから、つまり同性の女生徒から人気があったわけです。
実際、学校で呼び出されて女子から告白された経験もあるそうです。
 
そんな当時の北川さんの姿がわかる卒アル写真の画像がネットに出回っています。
中学時代とおぼしき画像を見ると、化粧っ気もなく素朴な初々しさが感じられますね。

 
一点、高校の卒アル写真と言われる画像を見ると、メイクもばっちりで中学時代よりあか抜けており、ちょっとギャルっぽい雰囲気さえあります。

 
女子高でこんな雰囲気だったなら下級生にとってアイドル的存在だったのは間違いないですね。
なお、高校の卒アル画像は「北川景子」とあるように本人のものに間違いないようです。
と同時に、本名も北川景子だということがわかりますね。
 
医者を目指して名門校で勉強に励んでいた北川景子さんが、なぜ芸能界入りに至ったのかというと、高校2年のある日、街角でモデルとしてスカウトされたからです。

 
スカウトされるまでは彼女自身、芸能人になるなんて考えはまったくなく、「あ、芸能人ってなれるものなんだ」と思ったといいます。
ただ、当時、勉強に伸び悩みを感じていた時期でもあって、気分転換になるかなと軽い気持ちで事務所に入ったそうです。
 
一方、厳格なお父さまは娘が芸能界に入ることを歓迎していなかったそうですが、北川さんが勉強に悩んでいることを知っていたこともあって、勉強がおろそかにならない程度の気分転換として認めてくれたらしいですよ。

高校3年で転校した北川景子さん


 
さて、モデルとして活動を始めた北川景子さんは、すぐに注目を浴びることになります。
2003年に雑誌セブンティーンの主催するミスセブンティーンで、数千人の応募者の中からグランプリに選ばれるのです。
 
その後はセブンティーンの専属モデルとして活動しながら、高校生活も継続していました。
しかし、これほどの逸材を芸能界が放っておくわけがなく、すぐに芸能活動が忙しくなってしまいます。
 
そのせいもあってか、北川さんは高校3年時に大阪女学院高校からクラーク記念国際高校に転校します。
 
クラーク記念国際高校はいまや堀越高校と並んで多くの芸能人が通う学校として有名です。
かなり個性的な学校で、偏差値といったようなものはなく、勉強する意欲さえあれば誰でも合格できると言います。
 
全校生徒数は1万人以上、進学コース、スポーツコース、芸能コースなど多彩なコースがある単位制の高校というのがその特徴です。
一律的な学習カリキュラムではなく、生徒がやりたいと思う勉強に合わせ柔軟にカリキュラムを組んでくれるそうで、ふつうの高校のように毎日通うこともできれば、通信制のように週に1回ほど通うだけでも卒業できます。
 
高校3年になって転校することはあまり考えられませんが、芸能活動が忙しくなってきた北川景子さんにとって、ご自身のライフプランを実現するにはこういう柔軟な高校こそが合っていたのでしょうね。

北川景子さんの最終学歴は明治大学卒業


 
クラーク記念国際高校を卒業した北川景子さんは、明治大学商学部商学科に進学します。
明治大学商学部といえば偏差値は62ぐらいありますから、なかなかのレベルですよね。
 
この大学に進学を決めた理由は、両親から浮き沈みの激しい芸能界ではこの先どうなるかわからないと諭されたからだそうです。
大学に入学後の北川さんは、芸能活動をしながら一般学生と同じように学生生活を楽しんでおられたようで、軽音サークルでドラムを叩いていたという話です。
 
その後の活躍は皆さんご存知の通りで、芸能活動と並行しながらも2009年に大学を卒業し、今の活躍に至ります。



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